こんにちは。
いつの間にか10月になってしまいました。
10月って半期が終わって異動などで環境が変わる方も多くなる時期ですよね。環境が変わるといつも以上にストレスを感じたり、精神が不安定になりやすくなる気がします。
私も結婚をして夫の転勤に合わせて住居や仕事を変えた時、気分が落ち込むことが多くなりました。現在、少しずつ落ち着いてきて「謎の心のザワザワ」の原因が少しだけ分かってきたのでシェアしようと思い、この記事を書きました。
自分のアイデンティティがなくなった
突然重暗い!
前職は経理系の事務職に就いていました。
入社してから6年以上経っており、後輩もいて、仕事もそれなりに抱えていて、残業も結構あって、疲れるけどやりがいもあって、思い返せば割と好きな仕事でした。
もちろん怒られることも1度や2度ではなかったし、辞めたいって思うことも何度もあったけど、食らいついていって、気が付けば後輩を育て上司に物申す立場になっていました。
仕事で頼ってもらえる、難しい課題を解決する、というのがいつしか私のアイデンティティとなっていたようです。
ですが、結婚を機にその仕事を辞めました。
先に言っておくと、その決断に全く後悔はないよ!
辞めなかったら夫と暮らすことができなかったからね。
そして、新天地で電気系専門職の仕事に就きました。
全く未知の分野。右も左も分からない。
周りから聞こえる会話の内容もよく分からない。
当然なんです。だって初めての仕事だから。
でも、ついこの間までバリバリ働いていたのに、突然レベル1で異世界の「はじまりの町」に放り出されて、何をしたら良いかも分からない。
とりあえず勉強から始めて、忙しそうにバタバタしている人たちに「何かやることないですか」「これはどういう意味ですか」と聞く日々。
正直、自分が思い描いている「仕事をしている自分」とのギャップが大きすぎて心が折れそうになりました。
人によっては「それぐらいで」と思われるかもしれない。
でも私にとって前職はそのくらい自分自身のアイデンティティであって誇りだったんです。
夫より頑張らないと自分に価値はないと思っていた
夫からしたら「何で?」って感じですよね。
例えば、夫が仕事で忙しく残業して帰ってきたり、仕事で起こった面白いエピソードや大変だったことを教えてくれたりした時、普通だったら「お疲れ様」と労ったり「面白いね」とエピソードに対する感想を伝えたりするところです。
でも私にはそれができなかった。
たくさん仕事がある = 頼りにされている
という謎の式が出来上がっていました。
残業なんて夫からしたら全然嬉しくないし辛いだけですから、こんな風に考えること自体、夫に対して大変失礼なことなのですが…。
また、仕事のエピソードを教えてくれた時も、自分が仕事でやったことと言えば、右も左も分からないから「話しかけてもいいかな…?」「忙しいかな…?」と気を使いながら疑問点を聞くことだけ。
職場で何もできない自分と頼られている夫。
夫と比べてずっと劣っている…と思ってしまいました。
仕事ができないなら、せめて家事はできなきゃ…と思うのですが、
家事にしても、私は結構適当にやってしまうタイプ。
夫は凝る部分は凝るタイプ。
料理の手順や分量をちゃんと調べて作る夫のごはんは美味しい。
私は適当に目分量で作ってしまうから、なんだか微妙に物足りない。
仕事もできない。家事もできない。
何でもできる夫の側に何もできない私がいても足手まとい。
「すべて劣っている私は、夫よりもずっと頑張らないと愛想をつかされるかもしれない」と考えるようになっていました。
なんだか自分に自信がなくなっちゃった。
高まる承認欲求と自ら下げていく自己肯定感
・バリバリ仕事がさばける人だと思われたい。
・料理や掃除を完璧にこなして「良い妻」として認められたい。
今思えば、こんな感じであらゆる面から認めてもらいたいと願う承認欲求の塊で、しかも勝手に「相手はこう思っているだろうから、その通りにできなきゃ認めてもらえない!」という1人妄想劇場を開催し、結局思い描いた通りにできなくて自己肯定感が下がるという負のループにはまっていました。
例えば……
△△の業務を完璧にこなしてくれればなぁ…。
仕事も任せられるんだけどなぁ…。
△△の業務を完璧にできるようにしなきゃ!!
⇒でも、できない。
料理も掃除も完璧にしてこそ良い嫁だよね!
料理も掃除も完璧にしなきゃ!
⇒でも、できない。どう頑張っても自分の思い描く「完璧」にはならない。
これの怖いところって、相手に何かを言われたわけではなく、自分の中で「相手はこう思っているだろう」と勝手に仮定して、結局できずに勝手に落ち込んでいるところです。
夫や上司からすればとんだ迷惑ですよね。
でも当時の私は至極真面目に考えて、心をざわつかせて、夫に八つ当たりをしながら生活していました。
たった1つに依存した自己肯定感は危ない
今考えると、元々自己肯定感は低かったのだと思います。
ただ、前職はそれなりに頼られる立場にいた。
元々「−10」だった自己肯定感は「仕事で頼られている」と感じることで「+10」になって、かろうじて±0になっていたのだと思います。
その仕事を辞めたら自己肯定感は「-10」に逆戻り。
何とか認めてもらわないと、私の価値がなくなっちゃう!と焦って焦って空回りした結果がコレです。
問題なのは、前職で「頼られていた」というたった1つを自己肯定感を高める材料にしていたということ。今回の夫の転勤のように、環境が変われば呆気なく崩れ去るものに依存していたのです。
数ある内の1つであるなら何ら問題はないはずです。
なぜなら1つが無くなったとしても、他の材料でカバーできるから。
たった1つに依存した自信の付け方、特に環境の変化によって維持できなくなるものに頼るのは危険であると今回の件で身に沁みました。
そんな私の自己肯定感の高め方
自分に自信をつけるために行っていることは
①自分の行動に理由をつける
相手がどう思うかばかりを気にしてしまうので、「自分はこう思ったからこう動いた」と理由付けすることで、自分の意志で行動してるぞ!と言い聞かせる。
②自分を褒める
自己肯定感を高めるには、とかを検索するとよく出てくる対処法。
でもそれが難しい。とりあえず「今日も頑張ったなー」って仕事終わりに言うようにしています。
③褒めてもらったら素直に喜ぶ
褒められたら「お世辞かな?」と勘繰るのではなく、素直に喜んでご機嫌になる糧にしています。(精神状態によって成功率が変わる)
もちろん出来ていない時の方が多いです。
でも特に③の褒めてもらったら素直に喜ぶっていうのは、意識するようにしています。
まだまだモヤモヤする時や自分に自信がなくなるときは多いけど、少しずつ変わっていけたらいいな、と思って明日も生きます。
以上 おやすみ